ぽふ、と煙管片手に紫煙を吐く女性の姿はあまりに艶やかで。彼女が俯けば、床に届かんばかりの黒髪が、横顔を暗く遮った。
「ほんに、辰砂はんは妖艶でいらっしゃるなぁ。惚れ惚れするわぁ」
率直に褒める珊瑚へと鋭い一瞥を投げかけた、血のように赤い瞳は、直ぐに流れる髪に隠される。
「菊名の。見え透いた世辞はお止め」
「お世辞ちゃうんですけどねぇ。美人さんを美人さん言うのに、なして怒られないといけないのやら」
年齢不詳の美女である辰砂が実際に永き時を生きてきたことを、菊名珊瑚は知っている。そんな不老不死の体質を持つ彼女を巡って、数々の醜い争いが起こったことも。
何故ならば、珊瑚が菊名の一族だから。古くから辰砂に惚れ込み、彼女の元に押し掛けて仕えている家系で、悲願は辰砂の血の無毒化。
そう、辰砂の血を与えられれば、少なくとも老化を遅らせることはできる。ただし、それは同時に、強い依存性を持つ猛毒でもあった。
明らかに血反吐を吐くほどの猛毒であるのに、一度辰砂の血を切らせると、それはひどい幻覚と飢餓感に苛まれ、結局は彼女を襲ってしまう。そうして破滅した身の程知らずは枚挙にいとまがないし、初期の菊名一族からも何名もの愚か者が出た。
今の菊名一族はそのような愚行から足を洗い、真摯に彼女に仕える報酬として血を分けていただき、摂取せずに無毒化の研究へと回している。おかげで表の世界では、菊名といえばありとあらゆる解毒剤を作り出す、解毒のエキスパートと思われている。
「お前たちは本当に、どうしていつまで経っても妾をそっとしておいてくれないの」
不意に声を掛けられ、珊瑚は目をパチクリとさせた。そして、秒で答えた。
「こんな美人さんほっとくなんて、そんな罰当たりなことできませんて」
「菊名は、誰に聞いても同じことを言う。気色が悪い」
流石に珊瑚はムッとした。
「そりゃ、うちら揃いも揃って惚れてまうのは、きしょいと思われてもしゃあないのかもしれませんけどね。私らに個性がないように言うのは無しですわ」
例えば珊瑚の母は、辰砂が触れれば壊れそうに綺麗だから、美人だと言う。姉は、辰砂のミステリアスな雰囲気が、美しいと言う。珊瑚本人は、辰砂がとても色っぽいから美人だと思っている。それを誤解されるのは、たまったものではない。
切実な問題だから、珊瑚は丁寧に説明したのに、肝心の聞いた辰砂がドン引いた。
「……それはそれで、気色が悪い」
「自分から話のネタ振っといてその反応は、あんまりでっしゃろ⁉︎」
「特に、珊瑚が一番気持ち悪い」
「そんなぁ!」
辰砂がそれ以上話を続けなかったので、珊瑚も渋々大学の課題のノートを広げた。菊名の一族らしく薬学部に入った彼女は教授の覚えもめでたく、一人だけ課題の質が段違いに高く設定されていた。その結果、世界の最先端の研究結果を眺めながら頭を抱える羽目になっているのだが、本人にその自覚はない。
課題に唸る珊瑚を尻目に、辰砂は煙管を片手で回し、ふうと紫煙の輪を吐き出した。窓の外はいつの間にか夕焼けに燃やされており、鮮やかな朱の色が遥か彼方の記憶を呼び覚ます。
『本当に、妖しく艶やかでいらっしゃる』
珊瑚と同じことを言った菊名の初代当主は、当然のことながら、もういない。
「もしかしたら珊瑚、そなたが……」
辰砂の呟きが、ひっそりと紫煙に溶けた。
キャラクター紹介
【菊名石】
キクメイシというイシサンゴが海に作った骨格部分で、解毒効果が期待されていました。
赤い珊瑚が装飾品に使われることもあることから、本作に登場しました。
辰砂を慕う、花の女子大生です。
【辰砂】
不老長寿の霊薬に調合されてきた石ですが、硫化水銀から成る為、強い毒性を秘めています。
不老不死、血に毒を持つ妖艶な美女。
吸血鬼一族の始祖の一人とする説もある、謎に包まれた女性です。