幻さ だって出会いは 前の世の 戒め解いて 空に羽ばたけ

 夕暮れに、今日も店を閉めようと、外うかがえば、いつもの気配。
 なんちゃって短歌ができてしまって、タンザナイトは嘆息する。
「いつまでも他人ん店の軒先でぼんやり立ち尽くさないで欲しいんですがねぇ⁉︎」
 額に青筋さえ浮かべ、ガラガラと引き戸を開ける。すると、案の定そこにいたのは、ぼんやりとした瞳の青年で、非常に癪なことに、タンザナイトには見覚えのある相手だった。
「……ルナクォーツ」
「何を寝言ほざいてるんですか。私はタンザナイトです」
 さっくりと言い返すことには、もう慣れた。最初の頃はどもっていたが、きっと、この惚けた青年には気付かれていないだろう。
 本当は、悩んでいる。青年に、事実を伝えるべきかどうか。
 アンタの求めているルナクォーツはもう砕け散って、この世にはいないんだ、とか。ここは月ですらなくて、とか。
 けれどそれを口に出してしまうと、それを知っているタンザナイト自身について、疑問を持たれてしまうことになる。だからタンザナイトは、今日も素知らぬ顔をして、青年を、モルダバイトを追い返す。
「アンタにいつまでも店の前を占拠されてたら、こっちも商売上がったりなんですよ。だから、もう帰っていただけません?」
 モルダバイトは、今気が付いたというように、店の看板を仰いだ。布、織ります。けれども彼がずっと入り口を塞いでいたせいで、確かに店内には冷やかし客の姿すらない。
「……天の羽衣」
 不意にモルダバイトが呟き、タンザナイトはぎくりと体を強張らせた。天の羽衣は、もうタンザナイトにしか織ることのできない布だ。元々は月で普遍的に織られていたその布は、月の住民が全て去ってからも、地球で一部の織部たちが再現を試みていた。それすらももう過去の話で、今では神話的遺物の扱いを受けている。
「あれがあれば……俺は、ソラへ帰れるんだろうか。ルナクォーツを、探しに行けるだろうか?」
 緩く首を振り、邪魔したなと告げてモルダバイトは去っていく。最後まで一度も、タンザナイトを見ることもせず。
 その日から一年、タンザナイトが店を開けることはなかった。
 きっかり一年後、タンザナイトはガラガラと店の引き戸を開けた。モルダバイトが、驚いたように振り返る。
 タンザナイトは乱暴な仕草で、モルダバイトに布を投げつけた。
「本当に、アンタのせいで、私は散々だ」
「これは……」
「天の羽衣があれば、ルナクォーツが見つかるって? 寝言は寝てから言うものですよ。どこへなりと、去ってください。……二度と来るんじゃねえ‼︎」
 返事を待つつもりなどあるはずもなく、ガラガラピシャリと扉を閉める。外では、騒ぎ声がしているが、タンザナイトは必死に耳を塞いだ。
 もう、この店はたたもう。そして、旅に出るのだ。モルダバイトが宇宙に向かうと言うのであれば、そう、地底の遺跡とか、海底都市とかを目指して……。
 いつの間にか外も静けさを取り戻しており、タンザナイトは引き戸に背を預けると、ずるずると座り込んだ。モルダバイトに投げつけた天の羽衣を作るために、足りない材料を自身の魂で補ったという事実は、地底まで持っていこうと誓いながら。
「……やれやれ、これではどちらの方が未練がましいんでしょうねぇ」