ダブラフィオーネ・ポクスレティカ

 泊まる宿屋は意識して不定期に変えているのだけれど、今回の宿が大当たりだっただけに、次を探すのが億劫だ。何が良かったかって、私が帰るといつもその場で美味しいお茶を淹れてくれる程度には気配りが効く一方で、決して私の行き先を詮索しない適度な距離感を保ってくれたこと。それでいて夕食や朝食も好みの味付けだったものだから、半分本気で腰を落ち着けることを考えた。考えただけだ。そんな迷惑なこと、実際に実行できるわけがない。
 この宿のことは、シスファカリナが発行している雑誌の特集で知った。彼女は飲食店組合の幹部を務めているだけあってさまざまな店を知っており、その類い稀なる味覚と文才を武器に、組合の広報でも抜きん出て人気の食レポを発行することで有名だ。彼女のお墨付きであれば、外れに当たることはまずあるまい。そして今回もまた、食事処を併設している宿屋の特集を片手に訪れれば、バッチリ私の舌を満足させることができたのである。
 さて、いくら億劫であっても、大きな仕事が一山越えたからには次の居場所を探さねばなるまい。表向きの私は、あくまでも根無草の旅人。たとえ裏で、あれこれと噂話を集め、それを売っていようとも。私に裏の仕事を頼むのであれば、私を見つけ出すことが最低条件だ。そしてそんな条件を出すからには、簡単に見つかるようなことをしてはいけないのである。
 左手で弄んでいた乳白色の羽毛を握り込む。今回の対価として得た、纏魂石にも加工できる羽根だ。これを持ってサウダリオルネの工房に遊びに行けば、また新たな変装のタネが出来上がるという寸法。何せ私と彼女は、変装仲間なのだから。変装した姿の設定を二人で考えるのが最高に楽しい時間で、うっかり長居してしまうこともしばしばである。今や最年少の第一級加工師として有名な彼女の家を警備する警備隊の皆様には申し訳ないが、ひっそりと忍び込ませてもらう予定。
 この宿屋では最後になる朝食をいただくべく、食事処へ降りると、そこには先客がいた。
「ミカボレモースさん、ついに旅立っちゃうんだね」
 寂しくなるなぁと口を尖らせるのは、蒼天箱庭の一つ、カルシアーデから墜とされ、その際に記憶の大半を失った青年、ゼフェルフィーテ。本人が覚えておらず、思い出す気もないものをワザワザ掘り返すほど悪趣味でもないので、彼に関する情報には結構な高値をつけている。
 ちなみに、ミカボレモースというのは、私の偽名の一つである。明るい黄色の鱗と橙色の鰭を纏魂石から借りて、天真爛漫に食い倒れの旅を続ける少女……という設定だ。
「出ますよぅ。ここの食事、とっても美味しかったから、ついつい長居しちゃいましたけど。まだまだ、私のことを待っているご馳走があるはずなんですもん」
 グッと握り拳を作って力説すれば、ゼフェルフィーテは微笑ましげな顔をした。
「次はどこに行く予定なんだい?」
「そうですねぇ。ダウルアリナの喫茶店は、大体制覇した気がしますので……次は、ドレネロスですかね?」
 ふーん、と相槌を打つ彼の背後で、何人かの客が互いに目配せした。参考程度に情報を持ち帰るつもりなのだろう。私がその通りに動くとは限らないことを、承知の上で。
 実際に次の予定地はドレネロスではなく、というか碧海箱庭のどこでもなく。蒼天箱庭、エイシルフェルテである。そこでは、情報屋仲間のウィズミリクスが喫茶店を開いていて、これまた美味しいお茶が飲めるのだ。
 ああ、美味しい食事を出す宿屋を彼に訊くのも良いな。
 彼に情報を求める際には彼が知らない情報を対価に渡す必要があるけれども、そこには大きな抜け道があるのだ。彼が記者の大敵、作家の親友と呼ばれる所以でもある。
 まあ、要するに、新しい小説や、創作のネタを書いて、持って行けば良い。彼にとって新しい話であれば、それが創作であっても何の問題にもならないらしいから。実際に売ってくれる情報も雑学のような知識が多く、創作ネタを膨らませるものばかりとくれば、本当に彼がやりたかったことは自ずと知れよう。情報通であることが変に広まってしまったため、この道にも通じているけれども、彼は本来とても蒼天箱庭の住民らしい、芸術を愛する人なのだ。
 で、私としては、サウダリオルネと楽しく練りに練った変装の設定を、新しい物語として持っていけば良い。今の設定、食べるのが大好きな少女ミカボレモースの物語は、まだウィズミリクスには教えていなかったように思う。
 楽しい想像にうふふと笑う。ただ、ちょっと笑顔に欲が漏れ出てしまったのか、ゼフェルフィーテが少し引き気味だ。
「楽しそうだね?」
「もう、想像するだけでごちそうさまですよぉ」
 今の言葉に嘘はない。噂を集めすぎて情報屋もやってはいるが、本来、私も創作ネタを求めて旅をしていた。創作語りができると思うと、笑うしかないのだ。