心を閉ざして、理性も仕事を放棄して。そんな俺の反応がおかしいことに、桜香は直ぐに気付いたようだった。
「錦?」
名前が呼ばれたから、喘ぎながらも目を向けた。向けた先の大きなキジトラの猫は、一瞬、その綺麗な金色の瞳を見開いて、低い唸り声を出す。
「錦を、どこへやった?」
不思議なことを言うものだ。錦の心を壊しておきながら、その行方を求めるなんて。
ゆるゆると首を傾げたら、その猫は青年の姿に変じた。やや浅黒い肌、黒い髪には金のメッシュが入り、キジトラの猫を擬人化したらこうなるのだろうかという安直な姿だ。
「錦を、どこへやった?」
どうやら、日本語で言い直す為に、わざわざ人間の姿に化けてくれたらしい。俺がその錦、そのままなんだから、和猫語でも、言葉は通じているのに。
「答えてよ、人間」
「俺は、どこへも行ってないぞ?」
「嘘だ」
こうも一瞬で断定されるなんて、猫には独自の感性でもあるのだろうか。
「やっと、やっと手に入れたと思ったんだ。僕の運命。確かに番にしたのに、香りがしない」
やたらとロマンチックな単語がポンポンと飛び出している。なるほど、この猫も、相手が誰でも良かったわけじゃなかったみたいだ。
思わず、鼻で笑ってしまった。
「何が可笑しいの、人間。僕に殺されたい?」
「殺せば良い。とっとと殺してくれよ」
だって、一言も、俺じゃなきゃ駄目だったとか、口説かなかったのは、そっちだ。心はもう引きこもった。仮初の理性で返事をしているけれど、確かにそんな今の俺は錦だとは言えないのかもしれない。で、そうなったら殺すってか。どこまで自分本位なんだと笑って、ああ猫ってそんな生き物だよなと、ストンと納得してしまった。
首に手をかけられて、微かに、甘い香りが鼻を掠める。この猫の匂いだ。
こいつが、俺を狂わせた。
そのまま絞め殺されるかと思いきや、唐突に手は離れていった。困惑に揺れる猫の目が、初めて俺の手から餌を食べたときと一緒で、懐かしい。
「今すぐ殺すのは、早計な気がしてきた」
「ここまで狂わせておいて、責任も取れないとか、本当、お猫様だよなぁ」
そんな猫に無意識でうっかり惚れ込んで、異世界まで追いかけた挙げ句の果てに、体だけ堕とされたと思い込んで心を閉ざしてしまった俺も、救いようがない。
「責任? ちゃんと娶って嫁にして、大事に抱いて、子どももできるように猫の魂も分けてあげたんだよ?」
「説明することも、口説くこともなく、無理矢理に、な。抱き人形に堕とされるには、心は邪魔だったのさ。俺としてはこのまま殺してくれた方が後腐れもなくて、」
「黙れ」
怒気を孕んだ声に従い、素直に口を閉ざす。
「ねえ、どうしたら錦を取り戻せるの」
黙れと言った先からこれかと、ただ肩を竦めて見せる。黙れって、言ったもんな。俺はそれに従ってるだけだ。
きっと、この猫が俺をドロドロに甘やかして、心からの愛の言葉を囁き続ければ、いくら寂しがりで意地っ張りな俺でも、いずれは絆されて、再び心を開く。それが、一度でも惚れた弱みってやつだと思うから。
しっかし、黙ってろってことなら、今の仮初の俺も、要らないな? よし、俺も、心と一緒に引きこもるとするか。
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