03 異世界、猫屋敷

 これでもかというくらい、グルグル巻きにしばられて、連れてこられた場所は確かに屋敷やしきと呼ぶに相応ふさわしい、和風の豪邸ごうていだった。グルリと俺を取り囲む、人間大の、猫、猫、猫。剣呑けんのんな光を宿した何対もの目に射抜かれ、文句を言うこともできない。
 俺をこの場所に連れてきた白猫の猫獣人も、どこかの門をくぐったときに完全な猫の姿になり、そこからは言葉すら猫の鳴き声にしか聞こえず、分からなくなった。
 猫の鳴き声なんて、俺には理解できない。ああ、理解できれば、どれだけ良かったか。こうの言っていること、知りたかった。
 鳴き交わされる声からは、明らかに会話している空気があったけれど、俺だけ一人、蚊帳かやの外。怖いし腹も立つけれど、だからと言って取り乱してはそれこそ相手の思うつぼ、みっともないことだと俺のちっぽけな矜持きょうじささやくので、気にしない振りで堂々と前だけを見ている。
 ふと、甘い香りが強まった気がした。ゆっくりと、まばたきを一つ。
 一際ひときわ体格の大きな、茶色に縞模様しまもようの入った(いわゆるキジトラの)猫が、ゆったりとした足取りで奥から歩いてきた。その背後に何匹か続いて、キジトラやサバトラの(灰色に縞模様しまもようの入った)猫たちが他の猫を退しりぞけ、寄ってくる。そのうち一匹だけが桜猫(耳の先がV字にカットされている猫)で、見覚えのある姿だった。
 こう、だ。
 ホッとして、腰が抜けた。こうが、無事でいてくれた。この訳の分からない異世界であっても、いや、この猫だらけの世界だからこそ、こうみじめな目にうことはないと思いたかった。
 実際のところは分からない。こうは桜猫だ。右耳の先を、桜の花弁はなびらのようにVの字にカットされた猫。人間の都合で去勢された、おす野良猫のらねこに与えられるのが右の桜耳。更には俺に飼育され、人間のにおいもついてしまっているだろう。それが野生で生きていくのに大きなデメリットになるだろうことは、いやでも想像がついた。
 腰が抜けてへたりこんでいる俺に、一番大きなキジトラの猫が鼻先を寄せてくる。それを、こう威嚇いかくした。
 一気に緊迫きんぱくする空気。良くない状況であることは、俺でも察せられた。
「や、やめろよ、こう
 けれども、何も分からずに声を上げたことは事態を悪化させたらしい。今度は俺に、殺気が集中した。今までの人生でそんなもの感じたことはないけれど、きっとこれはそうだ。息ができない。頭から血の気が、ザッと音を立てながら、落ちていく。
 それでも、俺をかばってこうに何かあったら……
「俺なん、かを、かば、う、な。……こ、う」
 一言ごとに、一息ごとに、圧力に重さが増す。最後まで言い切ってやったのは単に意地の問題で、正直、暗くなっていく視界に、死を覚悟した。
 意外なことに、それはいつまでも訪れなかった。
 温かくてふかふかとしたかたまりが胸元というか首元にぐりぐりとこすり付けられ、唐突に解放された呼吸で甘い香りを間近に感じ取る。ぶわりとふくれ上がる甘い香りにおかされ、頭がたぎり、のぼせあがったのを、妙に冷静に知覚した。
 ハッ、ハッと息が上がっているのは、さっきまで息ができなかったからだ。決して、断じて、この甘い香りに興奮こうふんしているからでは……
 ゾロリ、ザラザラとぬめる熱いかたまりが、俺の首元から耳までをめ上げた。
「ひゃあぅっ⁉︎」
 自分の声に自分でおどろいて、一気に目が覚めた。な、何だったんだ、今のは。こんな甲高い声、俺ののどは出せたのか。
 目を見開いた拍子に涙がこぼれ落ちて、ぼやけた視界いっぱいに映ったのは、金色にかがやこうこうはご機嫌きげんで、俺に頭をこすり付けては、首や顔、耳をめてくる。俺はそれに、ひたすら身悶みもだえるしかなかった。
 どうして、なんで。俺の体、何かが変だ。こうは親愛の行動しかしていない。なのに、それがとても、……エロくて気持ちいい、なんて。

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